2014/03/16

どうしよう・・・。





留年しました。

くそ留年しました。

どうしたらいいのか、わからないぐらい、留年しました。


まさかのまさかで、留年しました。

屑です。
人間のクズです。こんなくずですが、これからもよろしくお願いします。そして、ごめんなさい。生きててごめんなさい。こんなにお金使ってごめんなさい。何が景気づけだ。阿呆なのではないのか。私は、生きていて意味があるのか。

こんなクズな人間です。



留年が決定したのは、ほんの数日前です。正確に言えば、今月の13日です。



それを、まず親に言いました。
「留年しました」と電話で伝えると、すぐに切られました。ブツン、と切れた携帯電話の向こうで、怒りと不安と悲しみに震えている母が想像できました。
どうしたらいいのか、おどおどしていると、私と同じく留年の決定した人が励ましてくれました。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから。」彼の手は震えていて、とても大丈夫ではありませんでした。
「ありがとう」としか声に出ませんでした。
ごめんね、とか、おまえも大丈夫か、とか、そいつを労わる言葉も、そいつを安定させる言葉も、何も出ませんでした。
他の落第者も不安に駆られて、次々と無言に落ち込みました。
先生が少しして留年者のいる部屋へやってきて、私たちに横一列に整列するよう、言いました。
「これで全員だな。 お前たちが留年したのはわかるな。 今起こってる事をちゃんと整理して、これからの事をきちんと考えなさい。また、一人ひとり面談をするから、呼んだら来なさい。」
先生の言葉がこれほど重く感じられたのは、久しぶりでした。
おどおどとしている私たちに、先生は「とりあえず、出席番号順に・・・○○から。」と、最初の人を呼びました。
番号で言えば、次は私です。
○○が終わって、次は私が呼ばれました。
部屋へ入室すると、先生は資料を見ながら「座りなさい。」と目の前の席を指しました。
「留年した理由はわかるよね?」
能力?勉強?生活?才能?
「はい」と、あいまいなまま答えました。
「これからどうするのか、決めた?」
「まだ決めていません。 金銭的な面では、このまま学校にいることは不可能です。」
「そうか。」先生は深いため息とともに、資料の表紙を捲り私に見せた。
その一ページ目には、私の成績が前期と後期で、科目と点数が表に並べてありました。
「成績ですか」
「そうだ。 これで、みえるか。 ○○、○○、○○、○○、○○、○○、合計6科目、お前は落としている。これではダメだ。」
私はその時、思い出した。在学している学校のルールでは、5科目まで落としても、進級することができることを。
「6科目ですか・・・ 残念ですね。」
「あぁ。だが、この結果は惜しくもないぞ。これがもし5科目になったとしても、お前は留年だ。」
「なぜですか?」不安で、不安で、本当は答えを知りたくなかったが、尋ねた。
「お前は、必修科目を一つ、実習を一つ、落としている。」

今までにない、衝撃を受けました。
必修科目、という重要なものは、一番勉強してきたものだと、私は思っていた。
だが、現実は違った。
勉強してきたと思っていた、とはつまり、勉強していたつもり、なのだ。
つもりでは、実際にしたには加算されない。
私は勉強不足だったのか?
それとも、勉学の才がないのか?
どちらかかわからないが、どちらにせよ、私には取れなかったらしい。

「そうですか。 すみませんでした。」
「何を謝っている。」先生は別段珍しくなさそうに、資料を閉じました。
うつむいて顔をあげられないままでいる私に、先生はため息を一つつき、ペンをだし、聞きました。
「今後の事を、考えているのか?」
「・・・どうするか、検討中です。」
「学校は?在学を希望するか?」
「金銭的な面では難しいです。」
「そうじゃない。お前がいたいか、いたくないか、本当にこの道でいいのか、そう聞いてるんだ。」
「・・・・」しばらくの沈黙のあと、私は重くなったように感じた口から小さく「わかりません」と答えた。

「難しい話だ。親御さんとじっくり話し合ってきなさい。」
先生はそう言って、私を帰しました。
順番で次の人を呼びに、私は階段をあがりました。あがりながら、考えました。
どうすればいいのか?
このまま続けても、才がなければ意味がない。寧ろ金をどぶに捨てるような行為だ、と考えました。
「○○くん、次はおまえだって。」
「おう。」
次の人を呼び、私は荷物を持って部屋の外へ出ましたた。
外には私ののクラスメイト達が進級への希望と不安に、心躍っていました。
私を見つけるなり、「○○!」と寄ってきたのです。


正直を言うと、その時は頗る厭でした。


皮肉気に私は「おめでとう」というと、皆黙ってしまいました。
「お前、大丈夫か?」
私の顔は真っ青になっており、目は赤く充血していました。
自分への悔しさと、みんなへの嬉しさと、すべての事実への怒りが込みあがり、涙を爆発させる手前まで行っていました。
そのまま一人の友達が私をぎゅっと抱きしめてくれました。
「だいじょうぶ」
あの時、私と同じように留年した人が言ってくれたように、私を励ましてくれました。
その言葉に甘えるように、私は相手を抱きしめかえしました。
腕に力いっぱい感情を込めながら、
押えきれない涙を流しながら、
前に進むと考えながら、
抱きしめて泣いた。
今でも思い出せます。あの時流した涙は、悔しくとも、嬉しくとも、怒っても、いない純粋な涙だったと。これから何があっても、どうしても、絶対に、

私は後悔しないように、しよう、と。




後悔はしたくない。



したくない。



私は留年したことに不安と悲しみと、後悔はしている。 だけど、後悔したくない、と思っている。思うだけなら、 考えるだけなら、どうしてもどうしたって、なにをしてもなにしたって、良いのだ。
私は後悔している。
私は悲しんでいる。
もういやだ、と、思っている。



もういやだ。